株式会社びりかん信國大輔の経営日記

楽しく自由に働ける次世代型の会社組織創りを目指す株式会社びりかん信國大輔のブログ。インターネットプロモーション・集客の仕組み実現から、事業モデル改善、収支管理、融資対策、組織形成、ファシリテート、ITインフラ整備、システム開発まで企業をあらゆる面からサポートします。

本当に「目標」や「成長」は必要なのでしょうか?

高い「目標」を持ったり、困難なことに「挑戦」したり、飽くなき​「成長」を求めたり、徹底的に「努力」したり・・・多くの場合、​今の社会の中でそれらは称賛される対象のように思います。

一方、「目標」を特に持たなかったり、なるべく「挑戦」を避けた​り、積極的に「成長」しようとはしなかったり、無理な「努力」を​しなかったり・・・そういうことは間違っているという考え方の人​が多いように思います。

しかし、それは本当でしょうか。

別に「目標」や「挑戦」や「成長」や「努力」がなくても、その人​が幸せになれるのなら私はそれでよいと思っていますし、実際いろ​んなタイプの人の本音を聞いていると、その人にとっては本当にそ​れらはいらないものなんだなぁと感じることがあります。

たとえば「目標」ですが、びりかんの社員の1人に、「目標を持っ​たり、未来を思い描くのは大嫌い。今が好き。今ここが好き。」と​いう人がいます。そして、その生き方に誇りを持っていますし、本​心からその生き方を愛しています。では、そんな彼が仕事ができな​いかというと全くそんなことはなく、むしろ非常に優秀で、私を含​め社内のいろんなところで、彼のスキルによる恩恵を多大に受けて​います。家庭も円満で幸せそうです。

「成長」については、私にも少なからず「人は成長すべき。」とい​う考え方があるようで、ある社員に「もっとこうしたら成長できる​。」みたいな話をしたときに、「どうしても成長しなきゃいけない​んですか?」と聞かれたことがあります。その時、私は言葉に詰ま​りました。確かにそうだなと。絶対成長しなきゃいけないわけじゃ​ないよなと・・・。

「目標」も「挑戦」も「成長」も「努力」も、それぞれに素晴らし​いことではあります。ですが、それ一辺倒なのも、もしかしたら我​々人間にとって豊かではない生き方なのかもしれません。

「目標を持たず、挑戦せず、成長せず、努力しない。」

そんな生き方でも、その人が幸せならそれはそれで素晴らしいと受​け入れられる社会の方が、私にはずっと自然で魅力的な気がするの​です。

自殺者やうつ病の方が増えてきている近年、私にはそれが「もうい​い加減、経済発展一辺倒はいいじゃない、やめようよ。」という叫​びに聞こえています。そろそろ我々は、一旦走るのをやめて、全て​の事柄を自分たちの幸せに合わせて調和させる時代に来ているので​はないでしょうか。

それぞれの人が、それぞれにあった歩調で進める時代になるといい​なぁ。

あらゆる問題を我々の内側に

最近、「シングルマザー」と「障害を抱えるお子さんを持つ人」がびりかんに入社したんですが、今までそれらの問題が我々の外にあった(と感じていた)のに、今は我々の内側にリアルに存在している感じがします。

恐らく、他人でなく「仲間」の問題になったから、いろいろ試行錯誤してうまくやれる方向性を、各社員がそれぞれの貢献できる範囲で考え、行動し始めているのかもしれません。それも誰も強制されることなく自然に・・・。

たとえば客先の打ち合わせに「子ども同伴で行っていいか?」と営業マンが調整したり、社内会議や飲み会に子どもの参加を認めたり。。

このような社内の動きを見て、世の中にあるさまざまな問題(過疎化とか原発とか)を解決する大きなカギは、全人類がそれぞれを一人残らず「仲間」としてとらえられるかだと私は最近思い始めています。

全ての問題が我々の内側にありさえすれば、我々は積極的に改善し続けようとするのではないでしょうか。

ただ、「仲間を助けたい」という純粋な想いの元に、世界のありとあらゆる問題が見事なまでに効率的に、そして同時多発的に、我々によって解決され続けていく未来が、今目の前で花開こうとしていると私は根拠なく確信しています。

自分で選択するということ

「やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。」 

びりかんで大事にしている考え方の1つです。この言葉だけ聞くと​単にわがまま集団のように感じるかもしれません。もちろん、この​言葉のうわっつらだけを捕えて、何も考えずにやりたいことをやる​だけなら確かにそうなるかもしれませんね。なので、これを本当の​意味で実践するには対話と探究が大切です。
 
やったときに周りにどういう影響がでるか? 何を失うか? 何を​得るか? その選択におけるメリットだけでなくデメリットも自分​の責任として受け止められるか? それら全てを見つめなおして、​それが本当にやりたいことなのか? あるいは本当にやりたくない​ことなのか?

そういった対話と探究を繰り返しながら、本当の意味でのやりたい​こととやりたくないことを見つけていきます。そうすると、本当は​嫌なんだけどやりたい事も出てきますし、本当は楽しいんだけどや​りたくない事もあります。

何事も自分で選択するというのは実は大変なことなのです。その選​択の全てに自分の責任がつきまといますから。。しかし、その大変​さを受け入れてでも自分で選択し続けることが、私は人間として自​然で幸せな生き方だと信じています。

1,000回対話する覚悟

「ビジョンがなかなか浸透しない。」
「想いが伝わらない。」
「いまいち自分の考えを理解してもらえない。」

そういった言葉は、いろんな会社の経営者あるいはスタッフからよく耳にします。夫婦間でもありますね。しかし、よくよく聞いてみると、そのように嘆いている人の多くは、実は対話量が単純に少なすぎるというケースであるように思います。

たとえば、経営者であれば、本人は伝えているつもりのようですが、年に数回程度の全体朝礼でビジョンを少し話す程度だったり、下手すると「ホームページに書いてあるから読めばいいだけなのに・・・」と思っていたり。社員間でも、「一度前に説明した。」とか、「資料に書いてある」とか。。

多くの人が十分と考えている対話量と、本来効果を発揮するために必要な対話量に大きな差があるように思います。

では、どれぐらいの対話量が必要なのか?

私は、もし本当に想いを伝えたければ、そして自分を理解してほしければ、「同じような内容について最低1,000回の対話と探究を繰り返す覚悟」が必要なのではないかと思います。

自社の例で言うと、いまでこそ多少なりとも「びりかん」が何を目指していて、それがどういう未来を創造するかについて、ほとんどのスタッフは共感してくれて、いろんな場面で自発的に動いてくれていますが、このような状態を作り出すために、それはもう徹底的に対話をし続けました。

毎月1回の丸一日研修は、もう1年以上も続けています。スタッフから「多すぎるのでは?」という声があがっても、愚直にペアインタビューやダイアログを何度も何度も繰り返しました。もちろん研修の場だけにとどまらず、打ち合わせの合間や、飲み屋や、電話やメールでのやりとりや、社内SNSで、とにかく愚直に対話し続けました。

自由と責任とはなにか?
多様性とはなにか?
幸せとは何か?
なぜ対話するのか?
相互理解とはなにか? 常識とはなにか?
どういう働き方が我々にとって幸せなのか?
このルールは本当に我々に必要か?
我々はなんのために集まっているのか?
理想の未来とはなにか?
その事業は儲かるのか? そして楽しいのか? 我々がやる意味は?
人間はなぜ飽きるのか?

根本的な話から、目先の細かい話まで、疑問やすりあわせが必要な場合は、とにかく対話しました。

面白いことに、ありとあらゆるテーマについて対話と探究を繰り返していくと、いろんなことがつながっていることに多くのスタッフは気づきはじめました。そして、対話を続ければ続けるほど、そのつながりはより複雑になってみんなの頭の中に自然と構築されていき、いつしか我々は、非常に高度な対話と探究ができる組織へと変貌していったのです。

おそらく我々はまだまだ進化し続けます。
我々が対話をやめない限り・・・。

これからも、1,000回、10,000回、1億回の対話と探究を愚直に続けていくつもりです。
世の中のありとあらゆる答えは、その中に眠っているのだから。。。


「あるがまま」の先にあるもの

びりかんでは、それぞれの多様性、個性をとても大事にしています。常に私が社内で言っているのは、「やりたいことをやろう。やりたくないことはやらないでおこう。」で、とにかくこれは徹底してます。

ビジネス的に正しいことであってもやりたくないことはやりません。たとえば「時間を守る」などは普通の会社であれば、最低限絶対のものとしてやるのを強要されますが、我々にとってはそれすらも「守りたければ守ればいいし、いやなら仕方がない」と考えます。

逆に、やりたいことは多少一般的にはまずいことであってもやります。金髪にしたければすればいいし、突然旅行に行きたくなれば、社内行事をすっ飛ばしてでも行けばいいし、仕事より家族やボランティアを優先してもかまいません。

ここまで自由な振る舞いを認めると、人間は本当に多様な動きをします。しかも、とにかく楽しそうに幸せそうに、エネルギッシュにやりたいことをやりはじめます。ちょうど、好奇心旺盛な子供みたいです。どうも人間はすべてが自由になると、子供のころのエネルギーをじょじょに取り戻すようです。

そういう状態のことを私は「あるがまま」と表現したりするのですが、多くの人にとってこの価値は理解しがたいもののようです。だって、そんなに自由にしてしまったら、むちゃくちゃになるのではないか!? だれも嫌なことをやらなくなるのではないか!? と怖くなりますから。だから、多くの人は一般的に悪いと言われる行いに対して、説教や説得をして一生懸命それを正そうとします。

しかし、今までの経験を通して、実際には多くの人が恐れているような事態にはならないだろうと私は確信しています。なぜなら、我々が本当の意味で自由を手にすると、我々個々人の理解を遥かに超えるほど多様だからです。

どんな物事にも最適なバランスで、なぜかそれが好きな人間が現れます。人と話すのが好きだけど作業は苦手、という人間もいれば、作業は得意だけど対面が苦手という人間がいます。稼ぐのが大好きな人間もいれば、助けるのが趣味の人間がいます。人の悩みを聞いてあげるカウンセラーのような役割を好きこのんでやりたがる者もいれば、可能性のあるリスクを想定するのが得意な人間もいますし、緊急トラブル対応が何よりも好きな人もいます。

「あるがまま」を実践していくと、我々は高い次元でチームになっていきます。驚くことに、我々の好き嫌いや得意不得意が、まるで最初から設計されたパズルのピースのように「調和」します。

そう、「あるがまま」の先には「調和」が存在するのです。

もしかしたら我々は、全員で1つの生き物になるように最初から創られているのかもしれません。
もしそうなら、我々は一人一人が不完全だからこそ素晴らしいのです。

「苦手なことがある君よ、ありがとう。僕の存在に意味をもたらせてくれて。」

「好きなことがある君よ、ありがとう。だから僕はそれを君に任せて、安心して「あるがまま」でいられる。」

我々には我々がお互いに必要なのです。
幸せに満ちた「あるがまま」の我々こそが・・・。


信じて手放すことの難しさ

自律分散協調型組織を成り立たせる上で、最も重要なこと。それは人間を信じて管理を手放すことにあります。言うのは簡単ですが、この「手放す」という行為は、経営者にとって想像を絶する苦痛を伴います。にもかかわらず、経営者という立場になったことのない人にはピンとこないため、孤独の中で苦しみもがかねばなりません。

私も今では、どうにかこうにかこの「信じて手放す」を少しなりとも実践できはじめていますが、最初のころは、それはもう苦しみの連続でした。

顕著な例でいうと、ある日、とある社員が当社の昔からの優良顧客の対応業務について「申し訳ないが、どうしても乗り気にならないので、やりたくない。」といい始めたことがあります。理由としては、単純作業系の業務であったため、やる気が起きなかったようです。

今振り返って正直に言えば、そのときは頭にきました。どれだけわがままなんだと。仕事なんだからやれよと。そのために給与を払ってるのに・・・。このあたりは、経営者の方は特に共感いただける感情かと思います。

しかし、自律分散協調型組織を実践する上では、個人の意思を尊重するのがきわめて重要だと、頭では分かっていたため、その怒りをぐっとこらえながら、「そうか。やりたくないのなら仕方がないね。ではどうしようか?」と返しました。そうしたら、外注に出したいと。そこで、わざわざその業務をお金を払って外注パートナーに出すことにしました。

もし、この出来事がここでおしまいだったら、もしかしたら私のこの組織にかける想いは折れていたかもしれません。ところが、この後驚くべきことが起きました。なんと、そのわがままを言いだした彼が、それ以外の業務をものすごい集中力と速さで次々にこなしたのです。しかも、積極性は以前よりも遥かに増し、いろんな場面で自ら「それは僕がやりますよ!」と言い出しました。

なるほど、人間は自分の意見が認められたら、その分恩返ししたくなる生き物なんだなと気づきました。そして、結局、わがままを聞いたマイナスよりも、はるかに大きなプラスが返ってくるんだなと。。

その後も色々ありました。「社会貢献性が感じられない案件は受けたくない」とか「儲からなくても好きな案件はやりたい」とか「目標を持ちたくない」とか「社長のために働いてる気がするので報酬条件を変えてほしい」とか、一時的に赤字になって緊急対策が必要なときに、会議中に延々と自分の恋愛の悩みを話しはじめる者もいますし、企業訪問時にドキドキしてしまうぐらいの奇抜な服装や髪形をする者など・・・数え上げたらきりがありません。

そして、それらをすべて認め、受け入れるたび、私の中での「手放す力」が向上していったのです。なぜなら、毎回毎回必ず、受け入れたマイナスよりもはるかに大きなプラスが訪れることを私は体験の中で覚えてしまったからです。それだけでなく、私の中から、「管理しなければ!」という焦りやイライラを消してくれました。私に穏やかな毎日をプレゼントしてくれたのです。

びりかんの組織創りは、一見すると管理型の経営者を糾弾して従業員を救いたい、というように映るかもしれません。しかしそれは大きな間違いです。私は自社の活動を通じて、多くの経営者が、もっと恐れることなく管理を手放せるように、そして多様性を受け入れやすくなることを望んでいます。それは、世の中の経済を誰よりも牽引し、必死になって頑張っている経営者こそ、本当に幸せになってほしいからです。

経営者もハッピーに。
従業員もハッピーに。
その周りの家族もハッピーに。
町も国も世界もハッピーに。

いつか大きな幸せのうねりを創り出し、ありとあらゆるものを幸せにしたいと本気で考えています。
そしてそれは私自身の大きな幸せにつながっていると信じています。


上下関係や命令がない事の素晴らしさ

びりかんには上下関係が存在しません。なので「上司」と「部下」、また「指示・命令」という概念がありません。では、みんな個人プレーでバラバラにやっているかというとそうではなく、ほとんどの仕事は案件に合わせて数名のチームで対応しています。

どうやって「指示・命令」がないのにチームで仕事するのか?と聞かれたりしますが、実は結構簡単で、「依頼・お願い」をお互いにします。「指示・命令」と違って、絶対にやってもらうことはできず、断られることもありますし、ある程度背景とかを共有しないといけないという面倒くささもありますが、そのかわり、それぞれが自分でその仕事を受けるかどうかを選択しているので、みんな主体性高く責任感を持って仕事をしていて、「やらされ感」というのがほとんど存在しません。

「指示・命令」にはない「依頼・お願い」のメリットはまだあります。それは仕事を受けてもらえるとありがたいと感じることです。我々は何かを誰かに依頼するとき、たとえばこんな会話になります。

「これ、お願いできないかな?」
「いいよ。明日までにやっとくね。」
「ありがとう! 助かるよ。」


感謝すると、お返ししたくなるのが人間のようです。結果、仲間が困ってたら、みんな率先して助ける感じの動きが促進します。この感謝の連鎖が我々のチームワークをさらによくしてくれます。

また、上下関係はないのですが、上司っぽい立場になる人は存在します。知識や経験が豊富だったり、面倒見がいい人は、周りから慕われて上司っぽい存在になります。よく普通の会社では上司との人間関係でいろんな衝突を生んでいたりするようですが、うちの場合はある意味自分で上司を選んでいるので変な衝突がほとんどありません。

むしろ衝突どころか、ここにも感謝の連鎖が発生します。色々教えてもらったり、助けてもらった部下っぽい立場の人は上司っぽい人を尊敬し、報いるために頑張ります。そして、自分がしてもらったことを今度は次の新人などにしてあげるのです。うちの会社で新しい仲間が増えたとき、みんなが率先して助けよう、手伝おうとするのはこのためです。

「同僚」というよりは「仲間」という言葉がしっくりくるかもしれません。

余談ですが、先日社内研修をやっていたら、ちょうどその日が私の誕生日だったので、社員一同からサプライズの誕生日プレゼントをいただきました。忙しい中、裏でみんなで頑張って用意してくれたようです。そのプレゼントは漫画「ワンピース」をまねて作ったノブピースTシャツだったんですが、まさしく我々はこんな組織を創っているのだなぁと思いました。生まれて一番感動した誕生日でした。
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対話による相互理解の恩恵

社内では対話による相互理解をとても大事にしています。単に仕事上に必要なスキルや経歴といったものだけでなく、その人の生い立ち、学生時代の思い出、楽しかったこと、つらかったこと、今の悩み、とにかく公私の境目なく対話し共有し探究します。

たとえば、とある社員が恋愛に悩んでいたら、それを我々は会議中で話し合ったりします。家族問題で悩んでいたら、それぞれにアドバイスし合います。障害を持つお子さんがいらっしゃる社員もいます。我々はその人が今どんな想いで仕事しているか、どんな悩みがあるのかに耳を傾けます。

普通の会社の経営者はこのような対話をあまり好まないケースが多いです。直接的に収益と関係ない話なので業務外でやってほしい、あるいは、変に仲良しクラブになられると闘争心が希薄になりガツガツ仕事しなくなるのでは?という恐れもあるようです。

しかし、対話による相互理解を愚直にやり続けていると、実は仕事にも素晴らしい効果が生まれます。

相互理解が進むことで、多様性に富んだ人材が集まっているにもかかわらず、お互いの信頼感が増し、ほとんど無駄な衝突がなくなります。これはプロジェクトを進める上でとても効率的です。我々はまるで、サッカーにおけるアイコンタクトのように、実に効率的で流麗に、案件情報を必要な人に必要な分だけ共有し、最適なチームを組み、滞ることなくプロジェクトをスタートさせます。

しかもその動きは主体的で自発的です。全体の状況や個々人の状況をそれぞれが深く理解しているので、自分がやるべきこと、やったほうがいいことを高いレベルで理解しています。びっくりすることに、社長である私がいちいち号令しなくても(そもそもうちには命令という概念がないですが。)、新しい案件が勝手に発生し、いつのまにか勝手にチームが編成され、勝手に進んでいます。

闘争心のかわりに相互扶助の考えが根付きます。「新しい社員の仕事を取ってきてあげなきゃ。」「●●さんは打ち合わせに行きづらい環境だからカバーしてあげよう。」「あの人タスク漏れが多いから先にチェックしといてあげよう。」「最近●●さん凹んでるから、励ましてあげよう。」「風邪ひいてるなら僕が代わりにやりますよ!」・・・そういった想いが社内でいつも飛び交っています。我々は助け合うという素晴らしさを知っているからです。そしてその助け合いが、感謝を生み、更なる活力を無限に引き出します。

やはりこの組織で一番驚くのは、新しい社員が入る時。たった1,2回会っただけで、信じられないぐらい仲良くなって、すぐに仕事が始まります。これは毎回私自身が驚いています。

こんなに素晴らしい対話による相互理解ですが、まだまだほとんどの経営者がその素晴らしさに気づいていません。今後我々の組織がもっと拡大することで、このような組織作りを常識にし、もっと自然体で笑いあいながら幸せに、しかも効果的に仕事できる人達を増やしたいと思っています。


奪い合えば足らぬ。分け合えば余る。

前回、成果主義のことについて書きましたが、各人の給与に直結する担当売上というものがどのように決まっていくかを少し説明したいと思います。

たとえば、Aさんが10万円のお仕事を受注したとします。そうすると、社内でAさんがその案件に対応できる人に声をかけて、相談が始まります。そして話し合いのもと、「Bさんには製作をお願いしたいんだけど3割でどうかな?Cさんにはプロモーション活動の運用、これを4割ぐらいで。僕は今回、営業窓口として残りの3割もらえれば。どうかな?」という感じで、各人の担当売上が決まり、そのお仕事の応じたチームが作られていきます。ちなみに社外に発注するのも自由です。

誰に声をかけるかはAさんの自由ですし、その仕事をその条件(役割とかパーセンテージとか)で受けるかどうかは、それぞれに自由です。人それぞれ、得意分野が違いますし、チームを組みたい人も、満足のいくパーセンテージも違います。だから各人で判断してもらうのが一番効率がいいと私は考えています。

「そんなことをしたら、わがままばかり言う人が得するのでは?」という人もいますが、そんなことにはなりません。だって、わがままを言えば言うほど、声をかけられなくなったり、逆に声をかけても敬遠されてしまうわけですから。つまり当社の場合、どんな役割の人も自分という商品の価値を考えて行動せざる得なくなります。

ただ、実はこの仕組みだけだとうまくはいきません。どうしてもお金がらみの話は争いの種になりやすいですから。だから、この仕組みをやる上で、大事にしていることがあります。それは「奪い合えば足らぬ。分け合えば余る。」ということ。短文で言うにはこれが最も適しているので、相田みつをさんのお言葉を使わせていただいています。

これをわかりやすく説明するために、私が良く使うたとえ話は次のようなものです。

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とあるところに宝くじ10万円があたったA夫婦がいた。A夫婦の旦那さんは『いつも少ない小遣いで我慢してるんだ。今回の10万は俺がもらう!』という。それに対して奥さんは『バカじゃないの?私は小遣いなんていつもないのよ!?10万円は私のものよ!』と返す。結果、喧々諤々の口論を繰り返し、最終的に5万円ずつにわけた。

同じく宝くじ10万円があたったB夫婦。そこの旦那さんは『いつも家事を頑張ってくれてありがとう。今回の10万円は君が好きなものを買っていいよ。』という。ところが奥さんは『いえいえ、あなたこそいつも少ないお小遣いで頑張ってくれてるじゃない。私はいいからあなたが何か買って。』と返す。結果、お互いに譲り合いながら、最終的には5万円ずつわけた。

どちらの方が、分けるのに楽だったと思いますか?
同じ5万円ずつ手に入ったのに、なぜか大きな差がありませんか?
どちらの考え方が我々を幸せにしてくれますか?

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先日、社員の一人と呑みに行ったのですが、その時にとてもうれしいことを聞きました。

新しく入った社員に対して、先輩社員が仕事の相談をしていたのですが、新入社員が恐る恐る「配分ですが、5割ぐらいでどうですか?」といったら、先輩社員が「とんでもない。指導するだけで5割は取りすぎだ。こちらはもっと少なくていい。3割でどうだい?君は7割とってよ」と返していたそうです。

別の話もあります。すでに自分の担当売上が今もらっている給与の2倍を超えているのでいつでも昇給できるのですが、なぜか申告してこない。別の社員がその理由を聞いたら、「そんなことより、新しく入った社員の担当売上がつくように協力してあげたい」と言っていたそうです。

我々は、カネやモノ以上の価値を手に入れています。


ユニークさ

びりかんでは報酬に対して成果主義を採用しています。各人が持つ担当売上の2分の1が給与であり、給与は社内全員に対してフルオープンです。ただ、毎月給与が変動するようだと安心して生活ができないので、頻度としては半年に1回、担当売上の推移をみて増減させているような感じです。

成果主義とだけ聞くと、どちらかというと殺伐としたようなイメージがあるかもしれません。通常、成果主義は社員を発奮させ、ガツガツ働いてもらうために導入するようですが、うちの場合目的がちょっと違います。うちの場合の成果主義導入理由の大きな目的は、各人で責任を持ってもらうことで、最大限個人の自由を満喫してほしいから・・・というものです。なので、好きではない仕事を断ったり、仕事する同僚を自分で好きに選んでかまいません。自分で週休を3日と決めることも自由です。ボランティアをやってもかまいませんし、旅行してもかまいません。各自の好みでいろんなパターンを選んでいただくために、敢えて成果主義を導入しています。

これに伴って、当社では「評価」という行為が存在しません。これがさらに個人の自由な選択を可能とします。なぜなら「評価」が入るとどうしても経営者や上司の主観が入るため、本当に自由な人の選択を妨げてしまうからです。

我々は、常識を嫌います。人によって常識は違うからです。何が楽しくて何が楽しくないかも人によって違います。その人間の多様性をできるだけ受け入れることが、多くの人が楽しく幸せに働く組織・環境を生み出すと信じています。

びりかんの社員たちは本当に個性的です。普通の会社からみれば奇人変人の集まりのように見えるかもしれません。社内の飲み会のときなどは、まるで海賊の酒宴のようです(笑)。しかし、私はこれが人間の本当の姿ではないかと思っています。彼らは、その一人一人がとてもユニークで素晴らしい存在です。そのユニークさを存分に仲間に受け入れられている彼らはとても楽しそうに笑って会話します。一人一人は全く違うのに・・・です。 

本当に人間というのは素晴らしいなぁ。

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